オトナ帝国の逆襲はなぜ大人が号泣するのか?親世代に突き刺さる理由を徹底考察!

2000年代 邦画

今回は『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲』でございます。

単なる子供向け映画と侮るなかれ。子供の付き添いで来た親が号泣した、というエピソードも残るほどオトナを惹きつける作品であります。

オトナ帝国になぜ多くの大人が泣くのか。それは理想の世界を見つけても、その世界を捨てて現実を生きなければいけない『宿命』にもがく大人の悲哀が描かれているからです。

またこの映画には、大人というのは子供たちが想像するよりも『大人』ではないというメッセージが込められているような気がします。

もし現実に絶対的な者が現れ、何も考えずに娯楽だけ享受できる理想の世界が現れたら、大人はどうなってしまうでしょうか。映画の中のヒロシやその他の大人たちと同様に、何物にも代えがたい家族を捨ててしまう可能性は否定できないのではないでしょうか。

そこに逃れてしまう弱さは誰にだってあるのだと、オトナ帝国をみて気づきました。

オトナ帝国の深い物語をさらに魅力的にしたのは、子供向けアニメと考えると異常とも思える作画です。

特に冒頭における万博の力の入れようと、夕暮れの昔の街並みの描写にはアニメーションを超えた何かが感じ取れます。それはセル画というアナログな表現手法も関係しているのかもしれません。

個人的にはCG特盛で再現されたセピア色の風景よりグッとくるものがあります。

考察 本当は怖い大人帝国《ユートピアはディストピア》

イエスタデイワンスモアのリーダーであるケンとチャコは、その組織名の通り過去をもう一度取り戻すため、日本を支配しようとしていました。

別の角度から見れば「オトナ」という特定の年代を懐かしむ事が出来る人種のみが、暮らす世界を作ろうとしてた訳です。

その世界は、彼らが理想とする時代である、1970年代の暖かな空気感が失われることの無いユートピアに見えます。

しかしその実態はユートピアでは無いのです!

「懐かしい匂い」によってカモフラージュされていますが、人々を懐かしいというひとつの感情だけで抑制するディストピアなんです。

そのような恐ろしい事実になぜ大人が気づけなかったのでしょうか。それは彼らが利用したのが、暴力でも無く、人々の中にある懐かしさという感情を使って支配したという事が大きいでしょう。

だからこそ大人たちは、その世界の怖さを感じ取れなかったのです。

そして大人たちは、彼らの理想郷で懐かしい感情を享受する代償として、二度と戻らない今を、そして未来さえも差し出してしまったのです。

もし、野原一家が立ち上がらなかったら日本は、懐かしいという感情を持ち合わせない子供と、未来を選ぶ人は排除させられる恐ろしい国になっていたでしょう。

現実でも、本当に匂いで懐かしさを自由に操り、人々の感情を握る事ができたら、人を支配下に置くのは簡単ではないでしょうか。

それほど懐かしいという感情がもつ魔力は恐ろしいのです。

なぜ名作と言われるのか?それは馬鹿らしさと感動のバランスにある!

泣かせる映画と笑える映画は本来混ざり合わないものですが、オトナ帝国はその両方が絶妙なバランスで混ざり合い両立しています。

クレしん映画で屈指の名シーンと名高いひろしの回想を見るとそれが分かります。

3分ほどの泣ける回想シーンが終わると、次のカットでひろしが自分の臭い靴を抱きしめて泣いているというシーンに映ります。

子供目線で見るとヒロシの靴は普段のアニメから臭いと分かっているので、自分の臭い靴を抱きしめて泣くその姿が面白く感じられるのです。一方で大人目線で見ると、書き割りの世界を催眠によって本当の世界だと信じていたヒロシの姿に戦慄するのでした。美しい思い出の世界を捨てたくない気持ちと、家族と生きる未来の間を揺らぐヒロシに思わず共感してしまうのです。

同じシーンなのに、見る人の視線によってはギャグにもなり、ドラマにもなるシーンをさらっと入れ込むクレヨンしんちゃんの奥深さが分かります。

感動の次にしっかりとギャグを入れてくるそのバランス感覚がクレしんらしさに繋がっています。 

バカバカしくもしっかりと世界と人を救う。それがクレヨンしんちゃんの魅力です。

それはラストシーンのケンとチャコが飛び降りようとするシーンでも描かれています。

野原一家より早く頂上に着いたケンとチャコでしたが、未来を取り戻そうと奮闘する姿に感化され、大人たちを支配していた『懐かしい匂い』のレベルが低下し、二人の計画は失敗に終わりました。その事によってケンとチャコは『懐かしい匂い』で築き上げた理想郷の崩壊を悟ります。

そして、ケンとチャコはタワーから自分たちの理想郷に身を投げようとします。

その瞬間、未来を選ばず過去を選んだ2人にしんちゃんは叫んだのです。

「ずるいぞ!」

しんちゃんが叫ぶと屋根の下に巣を作っていた鳩が飛び出してきます。それに驚き座り込んだチャコは、泣きながら「死にたくないと」と本音を漏らし二人は思いとどまったのです。

この後のセリフで分かるのですが、しんちゃんは二人が死ぬと思っておらずバンジージャンプをすると思って叫んでいたのです。しかしケンとチャコは死を選ぶ事に対し「ずるいぞ!」と言われたと思った事でしょう。しんちゃんの勘違いが二人の命を救うという、クレしんイズムが感じられる名シーンです。

未来に対する素直な希望を持つ子供が、過去に生きる大人を救う。なんとも素敵なラストではありませんか。

本日の一コマ 春日部防衛隊のスナックでの茶番劇

大人たちが20世紀博へと消え、もはや無法地帯になり果てた町に取り残された子供たち。置き去りにされたいら立ちと悲しみからか、感情的になる春日部防衛隊。

やがては、喧嘩となりスナックへと入り、雰囲気に酔ったのかお茶をまるで酒のように飲み出す始末。そこで繰り広げられる安い深夜ドラマのような茶番劇。

大人は子供の遊びに夢中になる一方で、子供たちは精一杯の『大人』の姿を演じるという何とも皮肉なシーンです。笑いの中に黒い部分が垣間見れるのがクレヨンしんちゃんの魅力でしょうか。

そんな屁理屈は抜きにしても、このシーンは単純に面白すぎるから好きです。

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